2019年5月、国際電気標準会議では、炭化水素をはじめとする可燃性冷媒の充填量引き上げ案が可決された。8つの反対票が提出され、そのうちの一つは日本のものであった。しかしその背景には、安全性をどこよりも重んじる日本で、炭化水素冷媒が安全にかつ着実に普及させるための、日本独自の戦略があったのである。
文: 佐藤 智朗、岡部 玲奈
反対票を投じた意図
2019年の春先は、自然冷媒市場の将来を担う、劇的な決定がなされた時期であった。国際電気標準会議(IEC)で開かれた、A2(弱燃性)冷媒、A2L(微燃性)冷媒およびA3(可燃性)冷媒の充填量制限の引き上げに対する投票が可決となり、国際基準の改正案が承認されたのである。このうち、A3冷媒の充填量、例えばプロパンの場合は150gから約500gに引き上げられることとなり、自然冷媒である炭化水素の用途拡大に、大きな期待が寄せられることとなった。
同案は4月の投票で一度否決されたものの、手続き上の誤りが起きたために一転して可決・承認される異例の事態となったことでも、業界関係者の注目を集めた。本誌は、この引き上げ案に対応するために2016年7月に国内で発足した「A3冷媒を使用した内蔵ショーケースリスクアセスメントWG3」を編成する、一般社団法人 日本冷凍空調工業会を訪れ、技術部 参事補の長谷川 一広氏と、WGの主査である、サンデン・リテールシステム株式会社 開発本部 製品開発部 主管技師の坂本 圭久氏に、今回の一連の出来事について話を聞くことができた。
坂本氏が日本を代表して参加していた、充填量制限引き上げのための作業部会WG4(IEC 61C WG4)の中では、A2L冷媒、A3冷媒の充填量引き上げについて、早期に改正案のドラフトを作成したいという雰囲気が主流だったと、坂本氏は語った。海外、特に欧州では、Fガス規制によって、業務用冷凍冷蔵システムでGWP150以上の機器は、2020年1月1日より市場での販売が禁止されることなどを背景に、可燃性ではあるがGWP値が一桁であり、省エネ性も高く、代替案として有力候補であった炭化水素冷媒の規制緩和に今乗り出さないと、キガリ改正を含めた将来的なHFC削減の目標達成が厳しくなるという事情を抱えていたためだ。
そのためWGの中でも、A3冷媒の緩和が最優先という意見が中心だったという。「私たちは2度の投票に対して、どちらも『否』の意見を投じました。しかし、各国の事情を鑑みて否決されるとは予想しておりませんでした。可決されることを前提に国内でのWGも動いておりましたので、最終的に改正案が通ったことには納得しています。むしろ、一度否決となったことに、驚きを禁じ得ませんでした」と、坂本氏は当時を振り返る。
そもそもなぜ、日本は反対票を投じたのだろうか。その疑問に対して、長谷川氏は次のように説明してくれた。「日本としても、A2L冷媒、A3冷媒の将来的な充填量引き上げには、賛成の立場でした。しかし足早に進む議論の中で、安全面への配慮が薄れているのではという懸念を抱いたのです。安全基準を厳格に定めようとすれば、当然確認事項も増えて製品化も遅れてしまいます。しかし、充填量が引き上げられた国際基準下で製品化を進め、万が一現場で事故が起きてしまえば、一転して基準の厳格化という、規制緩和に逆行するような風潮が生まれてしまうでしょう。日本は可決されるのは覚悟の上で、このまま安全基準が見直されないまま規制緩和に進むことに対する、警告の意思表明として反対票を投じたのです」
規制緩和自体には賛成であったが、現状の安全基準には反対であり、そこには炭化水素技術を安全にかつ確実に普及させたいという、重要なメッセージが込められていたのである。

主査 坂本 圭久氏
安全評価からのガイドライン作成安全面への配慮を徹底し、様々なシチュエーションにも対応できるように、日本冷凍空調工業会は産官学の連携のもと、A2L冷媒、A3冷媒のリスクアセスメントを中心となって進めてきた。遡ると、2016年から2017年にかけてのNEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)による「高効率低GWP 冷媒を使用した中小型空調機器技術の開発微燃性冷媒」事業の委託事業「低温室効果冷媒の性能、安全性評価」では、複数の大学が連携して炭化水素冷媒の安全性評価が行われた。
結果、当時の国際基準である冷媒充填量の150g内であれば、大きな事故は見受けられなかったとの報告がなされた。2018年度から2022年度にかけて実施されるNEDOプロジェクト「省エネ化・低温室効果を達成できる次世代冷凍空調技術の最適化及び 評価手法の開発」では、炭化水素冷媒の漏えい時のシミュレーションや実験などを通しての危険性などをレビューするために必要なデータ収集、手法を開発している。
2018年12月に、日本冷凍空調工業会が神戸で主催した「第13回環境と新冷媒 国際シンポジウム」では、坂本氏をはじめとしたWG3メンバー各員が、「A3冷媒を使用した内蔵ショーケースのリスクアセスメント」と題した検討結果を発表した。坂本氏は、神戸シンポジウムでの発表内容をもとに、同検討を継続して行なっている最中だと説明した。
「ガイドラインですが、実はたたき台まではできています。そこには安全な使用はもちろん、ライフサイクル全体に関する内容も盛り込む予定です。廃棄する場合の手順についても、マニュアルを別紙で作成する予定です」と言い、今年度中に安全規格をまとめたガイドラインを発行予定だと明かしてくれた。
リスクアセスメントは、現段階ではコンビニエンスストアをテストケースに進めているという。「WG3は、主にショーケースメーカーなどの10事業者で成り立っています。コンビニはどの店舗も環境が似ており、かつ限られたスペース内にさまざまなショーケースが設置されているため、検討対象となる機種が多く、また全国に展開していることから、検証によるグループ内の認識を共有しやすいためです」と、坂本氏は説明する。
タバコなどのわかりやすい火元はもちろん、近年コンビニに置かれ始めたコーヒーマシンに可燃性冷媒が混入した場合など、様々な憶測を立てて検証している。コンビニ店舗での安全基準がまとまった後は、検証場所をスーパーマーケットや飲食店へと拡大していく。しかしコンビニとは違い、ショーケースの種類や使用用途、内装や店舗規模、機器設置場所などが店舗ごとに異なるため、着火源となり得るものもそれぞれ異なり、コンビニでの検証より難易度が上がる。それらを事細かに1 つ1 つチェックすることで、安全かつローコストで可燃性冷媒が使用できる体制を整えたいと、両氏は述べた。
法改正と周知徹底も目指す
可燃性冷媒の安全な使用法を確立するとともに、国内の法改正も必要となってくるという。「現行の高圧ガス保安法では、プロパンなどの可燃性冷媒機器を修理する場合、現場では行えません。機器を持ち帰り、開放空間の中で冷媒の入れ替えをする必要があります。小型の機器ならまだしも、大型機器の場合、エンドユーザーにも負担がかかるため、関係する法規などの見直しの必要性についても、今後、考えていかなくてはなりません」と、坂本氏は現行法での課題を挙げる。
またガイドライン作成後は、関係者への教育を促す考えだ。自主的に教育体制を取ることが難しい事業者に対しては、セミナーを実施する予定だという。「これまでフロンを主に使用していたメーカー各社には、ガイドラインを理解していただくことを最優先に考えています。CO2と違い、炭化水素など可燃性冷媒のショーケースは、フロン機と比較して見た目の変化がありません。扱い方を間違えると、使用時はもちろん、廃棄時にも重大な事故につながる危険性があります。エンドユーザーへ機器の提案をする営業の方々には、特に周知を徹底していきたいところです」と、長谷川氏はガイドライン発行後の必要なアクションも話す。
炭化水素冷媒が主流となるために
では実際に、ガイドライン作成や法整備がなされたところで、炭化水素冷媒に取り組む事業者は増えるのだろうか? この問いに対し坂本氏は、法律が重要な役割を担ってくると回答した。次のフロン排出抑制法改正時に、「指定製品制度」に内蔵型ショーケースが追加されることを見込んで、リスクアセスメントを進めてきた。同制度は、ノンフロン・低GWP化を目指すために、フロン類を使用する製品の製造・輸入を行っている製品メーカー等に、指定された製品区分ごとにGWP値の目標値と目標年度を定め、目標達成を求める制度である。
現在、別置型ショーケースなどのコンデンシングユニット及び定置式冷凍冷蔵ユニットは指定製品となっているが、内蔵型ショーケースは対象外となっていた。しかし、今後ガイドランが発行されることで、内蔵型ショーケースが指定製品となっても、低GWP化の目標を達成するために炭化水素冷媒を採用するメーカーが徐々に増えていくことが予想される。
また、ガイドライン作成に法改正と踏むべき手順は多いものの、両氏は炭化水素冷媒の市場普及について明るい展望を描いているという。「日本国内においても、炭化水素の技術は主流の選択肢として浸透していくと思います。フロンの選択肢が狭まっていく中、小型冷凍冷蔵機器での炭化水素の優位性は、市場でも証明されているところでしょう」と、長谷川氏は言う。sheccoの市場調査によると、炭化水素が主流となっているボトルクーラーや自動販売機、家庭用冷蔵庫などを除いても、実際に世界では約250万台もの炭化水素ショーケースが小売店舗にて稼働しているというデータからも、炭化水素の優位性が伺える。

また同氏は、イニシャルコストもCO2機器より抑えることができるので、補助金に頼らない機器の設置にも貢献できるという。既に日本でも、輸入された炭化水素ショーケースが市場に存在し、導入している店舗もある。しかし、今までは炭化水素についてはグレーな部分が多く、エンドユーザーからも安全面に対する懸念の声が少なからずあった。そのため、安全面を最重視したガイドライン作成の姿勢は、炭化水素冷媒の市場普及の追い風になると坂本氏は考える。
「日本冷凍空調工業会が定めた安全基準をクリアしている」というメッセージをはっきり伝えられるようになることで、業界全体を後押しするきっかけにしていきたいと、坂本氏は話す。とはいえ、製品化はもうしばらく先の話だろう。安全面を考慮した製造設備への投資のほかに、流通・サービス・廃棄等のシステム構築を経て、本格的に国内製品が市場へ出てくるのは、2021年あたりだろうと両氏は考えている。
海外市場にも好影響を日本の徹底した高水準のガイドラインは、国内だけでなく海外市場にも好影響を与えるはずだ。未だフロンが主流として使用されている途上国では、今後低温機器・空調ともに自然冷媒などの低GWP冷媒へと転換されていく。一方で東南アジアなどでは着火源になりうる対象物も多く、安全対策や環境整備など、日本以上に考慮して使用しなくてはならない。
「日本冷凍空調工業会としても、途上国支援は大きなキーワードとなっています。ASEAN諸国とは冷媒の低GWP 化に関する情報交換会やワークショップを開催しています。また、高外気温で知られるクウェートなどの中東地域に対して、低GWP冷媒代替技術評価プロジェクト(PRAHAプロジェクト:UNEP(国連環境計画)/UNIDO(国連工業開発機構)主催)にも関わるようになり、2016 年11 月からこれまで、検討してきたリスクアセスメント結果や、リスクアセスメント手法の説明を行うワークショップを開催してきました」と長谷川氏は言い、今回日本が独自に進めているA3冷媒の安全基準やガイドラインに関しても、途上国だけに限らず世界に積極的に共有・発信して行く姿勢だと語った。
彼らのリーダーシップの恩恵を受けるのは、国内業界だけでなく、海外業界も含まれるということだ。坂本氏も、ガイドライン作成後は、炭化水素が世界で安全に普及するためにも、今回改正された規格の不足部分の追加や見直しの必要性とそれを裏付けるデータを整えた上で、IECに積極的に提案していくとし、「炭化水素系冷媒を小型ショーケースの最終代替冷媒とするために、今後も活動を進めていきます」と語った。
リスクアセスメントを通じて、可燃性冷媒である炭化水素冷媒の国内外市場を切り開くための、確かな土台を作ろうとしている日本冷凍空調工業会。その足取りには、慎重さよりも着実さを覚えた。来春に世に出るだろうガイドラインは、その歩みを一層加速するものであることを期待したい。
『アクセレレート・ジャパン』24号より